ADHDの日課

19歳〜。苦手な日課です。ADHD(手帳は二級) 名前欅 流了リ(けやき

普通に見えるから大丈夫だよとかって言われ疲れたんだけど何が?

わたしが精神科に入院した経緯

中1のときに、はじめて自傷した。
理由は、自分や人の汚い気持ちに耐えられなかったからだ。
本当は人間のズルさや理不尽さに耐えられないのに、余裕って顔をするのが苦しかった。汚いと感じながら人を受け入れたり、正義感を持ちながら友達の悪口を言ったり、先生を先生でしかないと思いながら先生の仕事感を感じるのが辛かった。
それを誰にも言えなくて、寮ではじめてリストカットした。それは人につらさを伝えるためのものだったから、誰かが傷を見て察してくれたりしないかなって漠然と思ってた。

正しいものしか受け付けられない潔癖だったわたしは、担任の先生と些細なことで喧嘩して、先生の

けやきさんみたいな生徒はこの学校にはいりません

という言葉で自主退学した。
親や副担任の先生は担任の先生を責めていたけど、わたしは先生にそこまでの言葉を言わせてしまったと、悲しいながらも反省さえしていた。
香川県で寮生活をしていたから、実家に戻った。とりあえず近くの公立中学校に籍をおいたけど、授業のペースも合わないし、うるさいし、生徒は猿に、先生は動物園の飼育員さんにしか見えなくなってきて、行かなくなった。
それから引きこもりをはじめたけど、暇さえあれば自殺の方法を調べて自傷して、死にたいって朝から晩まで考えて、考え疲れて寝るのを繰り返した。元気な時は部屋中の紙をビリビリに破いて敷き詰めたり意味わかんないこともしていた。

その時は自分にぴったりな場所が分からなくて、最早ないんじゃないかって不安で、死ぬしかないと思ってた。誤解しかされていない気がした。
ある時ほとんど偶然、ある教育機関の先生から声をかけてもらって、仙台に行った。とりあえずいる人は猿に見えなかったし、飼育員さんみたいな人もいなかった。
そこでわたしははじめて、頭が楽しい感覚を知った。
だけど精神が本格的におかしくなってきていて、いきなり塞ぎ込んだり元気になったりした。歩けなくなったり失声症になったりもした。その頃からADHDらしく興味本位で動くミキサーに指をつっこんで夜間に病院に連れて行かれたりしていた。
仙台の教育機関での学びは、いまでもわたしの芯になっていると思う。学びとは何か、どのように生きるべきか、そんなことをずっと考えていられる場所だったからだ。
だけど病的なところは治らなかった。神経症のようなところが周りにも気を使わせていた。不安定になってそろってご飯を食べられず大泣きしたり、いきなり家出のようなことをしたりして迷惑をかけていたけど、自分では止められず、どうしようもなかった。
仙台から戻って、わたしは余計に不安定になった。リストカットをしない日が珍しかった。ODをして、何度も救急車で運ばれた。一回体のものが全部出る段階までいった。
今でも手が震えたり言葉がうまく出なかったりする。心臓にもかなりの負担がかかったのか、いつも注意しないと苦しい。
病院に運ばれてもまた首吊りもリストカットもODもやめなかった。

早く死にたい。
生きていく自信がなかった。わたしは他人みたいに生きていけない。

生きていると傷つくし、人とペースも合わない気がした。人と分かり合えている感覚を持つことがなくて、孤独でいっぱいだった。話す言葉も人が分かるように妥協して話していた。会話では相手のいってほしいことを言うために本音を諦めていた。
誰も話が通じないし、どうせ分からないし、人に諦めてばかりだし。
それで生きていっても何がいいのかわからなかった。だから死のうって思ってた。


でもどっかで、生きたい気持ちが捨てきれなくて、どんどんおかしくなった。包丁をもってお部屋を歩いている時、妹が怖がったのを見て、その夜お父さんとお母さんに、泣き叫びながら
わたしを今から入院させて!
って言った。
だから入院したの。



わかった?