ADHDの日課

19歳〜。苦手な日課です。ADHD(手帳は二級) 名前欅 流了リ(けやき

堂々と巡るしかないこと。

人のこころなんて
清くなんてないんだなぁ。

変化は、いつも清くなどないのだ。

説明を早々に終わらせて、
わたしと離れ自分の生活に戻る間際に見る表情に、
人のこころなんか清くないんだなぁ、、
とか思う、わたしは自分勝手だ。
変化を、劣っているから変わるしかないんだろうと思い、成長などという前向きな言葉に出来ない。

変わる気分や態度に、
人の清らかさとは、所詮、
人の美しさとは、所詮、
そのときの環境や生活や気分や余裕の象徴に留まると知った。

何故、十人十色とか人それぞれなんて言葉があるのかと、疲れきってしまえるまで考えていたくなったり、
なにかと出会っても、何処を見て何を感じたらいいか迷って一人になりたくなる。

変わる、ということには、そういう怖さがある。

過ぎた言葉や親切に、一喜一憂だと知らず、救われたわたしがいたから、人間の変化に覚悟がないと、そんな不信感を抱く。

変わらないで言葉を発し、動き、人と対する人がいたなら、どんな嫌われ者でも、わたしは信じられるかもしれない。
その人は怖い人で、その人は人殺しで、その人は詐欺師で、その人は誰にも言えない闇の中にいたとしても、その人にわたしは、共感が出来るだろう。

たとえば青空があって
それが真っ青で
笑顔があって
それが暖かくて
太陽があって
それが人を美しく輝かせていたとして
心地よいことは、
その時の限りも尽くさない偶然で、
また、雨空で
引きつった笑顔で笑われて、
太陽は雲にかくれて、
そこから逃げ出したくなる現実は同じだ。

そんな類の理解をしないと、悲しくもさみしくもなるけれど、
覚悟をすれば、心が疲れるほど動かない代わりに生きることに光を見出せなくなる。

心が離れていても一番近いところにある愛、また人生は自分が良いと思えば良いともいえること、誰かから作られたわたしと、それが死ぬこと。それくらいのことしか信じられなくなるのは辛い。

生活が愛に満ち溢れていなくとも、道徳性に欠けていても、どうでもいい。
そんなこと、愛に満ち溢れた道徳性のある生活と等しい。

期待することを諦めて、
どこを見て
どこを見逃さずにいたら、
目の前で変化するそのものに喜んでもらえるのだろうかとか、大きな破滅でも、大きな歓声でも、とてつもない平坦でも、黙って受け入れようと決断したなら、もっと喜ばれるだろうかと考えて生きようか。

変化は目まぐるしくて、
生活は全て説明出来ずに終わる。

全ては一部でしかなく、
全ては途中でしかなく、
それなのに。

自分のことを見つめることに純粋を見いだせば、
堂々巡って、説明を早々に終わらせて、わたしと離れ自分の生活に戻る間際に見る表情に、
人のこころなんか清くないんだなぁ、、
とか思うわたしは、これを長々と書く間に何も変わらなかった。

欅流リ