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ADHDの日課

19歳〜。苦手な日課です。ADHD(手帳は二級) 名前欅 流了リ(けやき

普通に見えるから大丈夫だよとかって言われ疲れたんだけど何が?

わたしが精神科に入院した経緯

中1のときに、はじめて自傷した。
理由は、自分や人の汚い気持ちに耐えられなかったからだ。
本当は人間のズルさや理不尽さに耐えられないのに、余裕って顔をするのが苦しかった。汚いと感じながら人を受け入れたり、正義感を持ちながら友達の悪口を言ったり、先生を先生でしかないと思いながら先生の仕事感を感じるのが辛かった。
それを誰にも言えなくて、寮ではじめてリストカットした。それは人につらさを伝えるためのものだったから、誰かが傷を見て察してくれたりしないかなって漠然と思ってた。

正しいものしか受け付けられない潔癖だったわたしは、担任の先生と些細なことで喧嘩して、先生の

けやきさんみたいな生徒はこの学校にはいりません

という言葉で自主退学した。
親や副担任の先生は担任の先生を責めていたけど、わたしは先生にそこまでの言葉を言わせてしまったと、悲しいながらも反省さえしていた。
香川県で寮生活をしていたから、実家に戻った。とりあえず近くの公立中学校に籍をおいたけど、授業のペースも合わないし、うるさいし、生徒は猿に、先生は動物園の飼育員さんにしか見えなくなってきて、行かなくなった。
それから引きこもりをはじめたけど、暇さえあれば自殺の方法を調べて自傷して、死にたいって朝から晩まで考えて、考え疲れて寝るのを繰り返した。元気な時は部屋中の紙をビリビリに破いて敷き詰めたり意味わかんないこともしていた。

その時は自分にぴったりな場所が分からなくて、最早ないんじゃないかって不安で、死ぬしかないと思ってた。誤解しかされていない気がした。
ある時ほとんど偶然、ある教育機関の先生から声をかけてもらって、仙台に行った。とりあえずいる人は猿に見えなかったし、飼育員さんみたいな人もいなかった。
そこでわたしははじめて、頭が楽しい感覚を知った。
だけど精神が本格的におかしくなってきていて、いきなり塞ぎ込んだり元気になったりした。歩けなくなったり失声症になったりもした。その頃からADHDらしく興味本位で動くミキサーに指をつっこんで夜間に病院に連れて行かれたりしていた。
仙台の教育機関での学びは、いまでもわたしの芯になっていると思う。学びとは何か、どのように生きるべきか、そんなことをずっと考えていられる場所だったからだ。
だけど病的なところは治らなかった。神経症のようなところが周りにも気を使わせていた。不安定になってそろってご飯を食べられず大泣きしたり、いきなり家出のようなことをしたりして迷惑をかけていたけど、自分では止められず、どうしようもなかった。
仙台から戻って、わたしは余計に不安定になった。リストカットをしない日が珍しかった。ODをして、何度も救急車で運ばれた。一回体のものが全部出る段階までいった。
今でも手が震えたり言葉がうまく出なかったりする。心臓にもかなりの負担がかかったのか、いつも注意しないと苦しい。
病院に運ばれてもまた首吊りもリストカットもODもやめなかった。

早く死にたい。
生きていく自信がなかった。わたしは他人みたいに生きていけない。

生きていると傷つくし、人とペースも合わない気がした。人と分かり合えている感覚を持つことがなくて、孤独でいっぱいだった。話す言葉も人が分かるように妥協して話していた。会話では相手のいってほしいことを言うために本音を諦めていた。
誰も話が通じないし、どうせ分からないし、人に諦めてばかりだし。
それで生きていっても何がいいのかわからなかった。だから死のうって思ってた。


でもどっかで、生きたい気持ちが捨てきれなくて、どんどんおかしくなった。包丁をもってお部屋を歩いている時、妹が怖がったのを見て、その夜お父さんとお母さんに、泣き叫びながら
わたしを今から入院させて!
って言った。
だから入院したの。



わかった?

そらちゃんのこと。

妄想

親戚が集まったお正月。そらちゃんはテレビを指差して、
「そらちゃんね、これに出てみーんなを笑顔にするんだもん!」
と言った。
「そうなの?それは楽しみだねぇ」
とおばぁちゃんが言った。
お父さんとお母さんもその様子を見ながら微笑んでいた。そらちゃんは引っ込み思案だ。公園の滑り台の列も一番後ろがよかった。だって、自分よりも後ろにいる人のことが気になって仕方がなかった。「もし上手に滑れなかったら、後ろのお友達はなんて言うかな・・・」とか、考えていた。だから誰かが後ろに並んだらそらちゃんはまた一番後ろに行った。だから、そらちゃんは滑り台をただ楽しく滑ることが出来ない。

そんなそらちゃんは、何故か神様が好きだった。それはお母さんの方のおばぁちゃんと、お父さんの影響だった。お母さんの方のおばぁちゃんは、毎朝神棚に手を合わせていた。どんなに冷え込む朝でも、じーっと手を合わせていた。お父さんは無口で何を考えているか分かりにくいけれど、お父さんの書斎には神社の本がいっぱいあった。

はじめはお寺と神社の区別もつかなかったけれど、自然と「あれは鳥居があるから神社!」とか、「お墓があるからお寺!」とか、話すようになった。そのときのそらちゃんは、いつもビクビクしているそらちゃんと別人みたいだった。
お母さんは臆病なそらちゃんを心配して、遊ぶ時は公園に連れて行ったけれど、お父さんは近くの神社を公園代わりにした。だから、お父さんと遊ぶときはいつも神社だった。
そらちゃんは伸び伸びと遊んだ。お父さんはいつも静かにそらちゃんを見守っていた。

境内の中に池があって、そこに鯉が沢山いた。そらちゃんはそれを「大きい金魚ちゃん!!!!」と呼んでいて、大好きだった。
「大きい金魚ちゃんに会いに行こう」
とお父さんを誘って「今日はお休み」と言われると「そらちゃんの大きい金魚だからお世話しないといけないの!」と駄々をこねた。そういう時はお母さんが「大きい金魚ちゃん」のところに連れて行った。そらちゃんは池に落ちちゃうんじゃないかってくらいに、ジーっと「大きい金魚ちゃん」を見ていた。

もうすぐそらちゃんは卒園する。小学校に入るのだ。
そらちゃんはお受験をした。周りの人は口を揃えて「そらちゃんは臆病だから難しいんじゃないの」と言っていたけど、筆記試験と心配だった面接も堂々とやってのけた。
 そらちゃんは人前に立つと堂々とした。お父さんとお母さんは、そらちゃんがはじめて言った夢を思い出した。
・・・「テレビに出る」
「そらちゃんには向いているかもしれない」、と思った。だけど二人ともそれを口にしなかった。
夜ごはんの時、お母さんがそらちゃんに聞いた。
「そらちゃん、合格おめでとう。そらちゃんは将来何になるの?」
そらちゃんは
「おまつりだよ!」
と言った。お母さんは首を傾げたが、お父さんは「ふ〜ん」と言った。
「そらちゃん、テレビに出る人になるんじゃなかったの?」
とお母さんが聞くと、「うん!なるよ!」とも言った。
お父さんが声を上げて笑った。

次の日、そらちゃんはお父さんといつもの近所の神社に行った。

テレビに出ることも、公園で遊ぶことも、そらちゃんにはおまつりだった。
ご飯を食べることも、面接をすることも、お掃除のお手伝いも、全部おまつりだった。
そらちゃんはお父さんに聞いた。「ねぇ、そらちゃんは臆病なの?」。
お父さんは
「それがどうした?それが神様に関係あるか?」
と言った。
そらちゃんはううんと首を振って、ニッコリした。臆病なんて関係ない。
「それがどうした、それがどうした」お父さんと手を繋いで家に帰った。

 そらちゃんのランドセルにはいつも日本神話の本が入っていた。
そらちゃんはお父さんと遊んだ神社を横目に、小走りで小さな劇団の芝居の稽古に向かった。

そらちゃんは沢山の人を笑顔にする、芸能の女神さまになった。

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守られている。

かんじる。おもう、かんがえる。衝動的に 日記
誰も足を踏み入れていない雪の上を歩く時、
自分は歩く存在であると感じた。

真新しい雪道に足を踏み降ろした時、
自分には足があり、歩けることを感じた。

顔を上げると頬に雪が落ち消えた。
わたしは、雪の降る街へ来たのだ。

数段に重なる雪の層が、落ちつづける雪のしっとりとした粉が、木の葉に積もる雪の重たさが、夢みたいだった。

ふと下をみると、人の足跡がいくつも重なっていた。
足跡が出来ては消えて、この夢の中にも生活があるのだと、少し寂しくなる。取り残されていく感覚と、その感覚の心地よさが同じようにある。

ねえ、ひどいよ。
なににそう感じたかは思い出せないんだけど、今日誰かにわたしはひどいことを言われて、わたしは傷ついた。

タバコに火をつけて、ぼうっと外を眺めていると、ふと父のことを思い出した。

わたしは小さい頃、タバコを吸う父が羨ましかった。

どんな時も、
「タバコ吸ってくる。」
の一言でみんなの時間を一時停止して、父がもどってからまた会話が弾む。
そんな父の力が憧れだった。

父は雪をみて、なにを感じるのだろう。

父の家は雪の降る街で、だから、雪に見とれたことがあるかもしれない。

そう思うと、わたしは父の遺伝子をちゃんと受け継いでいて、そういうものに守られている気がした。f:id:ruri_keyaki:20160217081232j:image

いいのかな

かんじる。おもう、かんがえる。衝動的に 妄想
いいのかな。
いいのかな。

彼氏と男友達とパトロンがいていいのかな。

彼氏がいるのにパトロンと、旅行をしながら男友達に、連絡してもいいのかな。

いいのかな。
人として全うな道を歩きなさい。

と親に言われてイラついた。

わたしには、見えない世界があるのかな。

いいのかな。
いいのかな。
分からなくてもいいのかな。

分からずに、死にたいと思っていいのかな。いいのかな。
お母さんがおもうこと、分からないまま死ぬことは、いいのかないいのかな。

お母さんから産まれてから、大人になるまで育ったら、お母さんから知ったこと、お母さんの思うこと、お母さんの教えたいこと、汲まずに死んでいいのかな。

一人で生きていたい!って、
思うことはいいのかな。いいのかな。

一緒にいられるのは家族だから。

わたしがくだらなくても、
どんな秘密があっても、家族でいられてしまう。

だからいいのかな。いいのかな。

いいのかなと思う。

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わたしは元気。

好きな人とのセックスは、なぜ覚えていないのだろう。
記憶にないくらい昔の現実みたいだ。

犯さたり、金と引き換えるセックスは、非日常だった、事件だった。
それで生活していくなんて夢にも思わなかった。

今ではそれが日常で、好きな人とのセックスの弊害にさえなっていて、もう純粋に好きな人とセックスをする感覚を捉えることは出来ないだろう。

時々訳が分からないほど不安になる。

考えちゃダメ、考えちゃダメだ。

お母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん、、。
ダメだ。小さい頃にかわいがってくれた人たちを、思い出しちゃダメだ。

わたしが産まれたことを喜んだ人たちのことを、考えちゃダメだ。
ひきこもり何でやめたんだっけ。

そうだよ、衝動的に真昼間にひとりで歌舞伎町一番街に行ったからだよ。
そのときはヤクザしかいないと思ってた。
そのときは歌舞伎町一番街の通りしか、歌舞伎町じゃないと思ってた。

ADHDで産まれなかったら体売らなかった!

衝動性に負けた、わたしはただ。
そこには刺激があるように思えた。そこにはわたしを落としてくれるものが確実にあった、だから安心した。

なにでもない。
なにでもない。
なんでもない。
ただわたしがADHDである。

衝動に任せていたら、男に入れられた。

それが3年間続いて、残念なことにわたしの人生でいちばん長くやったことになってしまった。

最悪。

でももし18の春じゃなくても、
21まで守られていたって、それが消えたなら、18の春と同じことになるって、
わかってるから、可哀想なわけじゃない。
わたしはそこに、いくしかない女だったんだ。

男なんて嫌い。
男なんて汚い。

でも自分から男の汚いところを見て、勝手に嫌いになったんだ。

今更男を好きになるようなことが起きたら困る。

男が本当に汚くて、本当に嫌うべき存在じゃないことを分かっているけど、
わたしがそう思うなら、人生なにも感じてないことと同じになる。それくらい、男は狡かった。それくらい、男は汚かった。それくらい男は金でしかなかった。

お父さん、お母さん、わたしは元気。

わたしはこんなに汚れたけど、
ほんとはきれいだったって知ってる。
愛されたって知ってる。

心にはまだ愛があるし、まだ純粋さがある。

だからわたしは元気。

今をかわしていく術を学んだだけ。

けやき

精神科入院 (小児思春期精神科にて)

日記 かんじる。おもう、かんがえる。衝動的に

1月21日 入院初日 今日

寝ながら空を見ていた。青い青い空がいつ見てもあった。寝ながら空を見ていた。

白い白い雲がいつ見てもあった。

わたしの心には「退屈」にしかうつらなかった。

寝ながらでないと、空を見られなかった。上を向いてもただ真っ白い天井とカメラがあるだけだった。だから寝ていた。1日中寝ていた。やるべきことが分からなかったから寝ていた。白い部屋の丸見えのトイレと固い二重扉に背を向けてわたしは眠った。

急に涙が出てきた。空を退屈だという自分のせいで、辛くなったのだった。求めることしか出来ない貧しさに、辛くなったのだった。

わたしは自分の存在を確かめたくて泣いた。結局わたしは、ひとりぼっちだった。

今、わたしはひとりぼっち。自分がありのままにくっきりと見え、それが悲しくて仕方がなかった。たまらなく哀れだった。悲しくてまた泣いた。

空は真っ暗になっていた。

段ボールの上のカレーライスが、わたしを無心にながめていた。



2月17日

褒められたら嬉しい。認められると、本当の幸せが一瞬で訪れるから。だけど褒め

られるのは難しい。何をやったら褒められるのかなんて、自分では全然分からないから。



3月1日

人に親切されるのはいい。人に怒られるのはいい。泣かれるのはいい。喜ばれるの

もいい。悲しまれるのもいい。悩まれるのもいい。でも人に甘えられるのだけはだ

いっきらいだ。



3月2日
わたし、楽器をやっている人がいいの。
わたし、夢をもってる人がいいの。
わたし、自分のことである程度精一杯の人がいいの。
わたし、細かいことをとやかく言わない人がいいの。
わたし、あんまりあなたのこと好きじゃないの。
思い出が欲しかったのと、暇つぶしがしたかっただけで、あなたが思うような本気なんかじゃなかった。
最近わたし忙しくなってきたから、もう終わりがいい。終わりにしたくて久しぶりに自分から連絡をしたの。それなのにそんなに嬉しそうにしないでよ。嘘だから。全部作り物だからさようなら。思い出を作ろうと思っていたのに、あなたと出会ってから変な罪悪感に囲まれてしまった。わたしにはじめて愛を感じさせた人は確実にあなたでした。わたしまだあなたのまっすぐさにびっくりしている。最後まであなたは変わらなかった、最後までわたしは嘘をついていた。嘘をつかないと、思い出も暇つぶしも出来ないと思って怖かったから。


※精神科に入院していたときに書いていたメモの一部。

欅流リ

自分の無力感。

その無力感に対する支援は「わたしが普通の生活」をおくるためだ。
その普通への支援をしてもらいながら生き延びることが何だか癪だ。
こんなことにありがたい、と思いたくない。「命」だけを守られることが嫌だ。
わたしは障害をもっているけれど、普通の生活を送ることに留まらない「活動」がしたいのだ。
支援をする人は、その為に学び、生き甲斐を持ち、その活動の為の支援を受けて生きているように見える。
わたしだって、そういう風に生きたいのだ。支援をしてくれる人が誰にでもいるのなら、普通の生活をおくる為の支援よりも、それが出来なくてもやりたいことへの支援を求めているのだ。
どんなに周りと馴染めなくても、求めるものが出来るようになることの幸せは、自分を肯定出来るようになる気がする。
 そしてそれこそが、定型と呼ばれる人より必要とされるかもしれない唯一の方法で、幸せなものだ。
 そうなれば特別に「わたし」を求めてもらえるかもしれない。
それを自分が求めなくても、支援を受ける人それぞれの意思と生き甲斐が叶い、納得するものなのだと思う。
けれどそうはいかないから、普通の生活をおくるため、という理由と、普通の生活というものの定義があって、支援をする。
わたしはそれが嫌だから、特別じゃないといけないって思ってきた。
無理矢理に支援を受けなければいけなかった時は、無力感ばかり感じていた。

欅流リ

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『感想』反抗の理由を終えて。

報告 日記

 4月22日、7月出版の処女作「反抗の理由〜14歳だし、AD/HDだし、わたし情緒不安定。〜」の編集作業が終わった。
その日は、担当の編集者さんと二人で椅子を横に並べ、わたしは煙草を吸いながら、編集さんは吸うくせに、「編集者がココ(文芸社の本社)で煙草を吸うのはあまりよろしくないですから」みたいなことを言って、吸っていなかった。
 いつものように2人で、最後の編集作業をした。早めの時間からはじめて、お昼ご飯もはさんで、色々な話をした。
 原稿を見ながら編集さんが「軽く尾崎っぽいですよね」と笑いながら言ったので、二人で大笑いしながら
「好きなアーティストで尾崎っていうとなんとなく恥ずかしいのはなんでだろうね。」
とか、そこから
「なぜか言うのが恥ずかしい好きな著名人No.1は誰か」
という話を結構真面目に話し合った。
 時々youtube尾崎豊で泣くのにね笑・・・っていうか尾崎っぽいって何か微妙な心境っていうか、褒める言葉じゃないよねとかって、ずっと笑っていたような気がする。(※尾崎豊さんを馬鹿にしているとか、ファンの方を侮辱するような意味ではありません)
 ずっと笑っていたけれど、終始頭のなかに「これで終わりなんだなぁ」という寂しい気持ちがあった。外は快晴。担当の編集者さんは本当にわたしの気持ちを汲んで、なおかつ意見も言ってくださって、本当に「この方が編集さんで良かった・・・」と思わせてくれた。大人しくみえるのに発想や行動が自由で大胆で、それが言葉になる時があって、そういう時が一番好きで、何回も笑いながら質問攻めにした。
 最後、編集作業が終わって、これでもう原稿を直すことも出来なくなった時、少しずつ喪失感が湧いてきた。だけど、終わって文芸社の本社のドアを出て、「ありがとうございました〜」と言うまで、ずっと笑っていて、寧ろ最後の感じなんか一切なくって、それでも会社を出てからすぐに、一筋だけ涙が出た。本気で泣いてしまうと収集がつかなくなると思ったから、ボーっと電車にのったら、反対方向の電車だった。
それに気づいても、まぁいいや・・・とそのまま終点まで乗り続けた。そういえば、当初は7月出版ではなく、2月までにという予定だったこととか、こんなに刊行が延びたのは、頑張って書いたとかではなくて、打ち合わせをサボったりして5ヶ月ものびたんだよなぁ・・・とか、そんなことを考えていた。
しかも、13歳と14歳のメモを元にしているから、編集作業なんて鳥肌が立って仕方が無かった。なんせ偉そうに人はこう生きるべきだとか、毎日同じようなことが書いてあって、俗にいう中2病の典型だよねとか思った。
そんなものを書籍化して出すなんて公開処刑でしかないよねって、編集さんに言うと、確かに恥ずかしいですよね〜って笑っていた。その日まっすぐ家にたどり着くことが出来なくて、携帯の充電も切れてしまって、ここがどこかも分からなくて、快晴だったのに雨が降り出した。
近くの漫画喫茶に入った。ここからはソコで書いたメモ。

「4月22日」
今日で反抗の理由の原稿が全て完成してしまいました。
沢山、許せない所を残したまま、おわってしまいました。
7月に発売されます。
もうこの原稿と過ごすことの出来ないこと、
編集の○○さんと会えないこと、
心にぽっかり穴があいたようで、
明日はもう、反抗の理由の原稿のことは
考えても何も内容が変わらない

寂しいです、おわってしまった。

家までたどり着けなくて、ぼーっと漫画喫茶にいます。

本当に、本当に今日で、
もう反抗の理由にペンを入れることができなくなった。
二作目を書こうと思うけれど、こんなに喪失感があるとは
思わなかった。
こんなにわたしの心の中に、反抗の理由という処女作が、沢山の範囲あったことに今きづいた


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(メモ終)


最後泣きながらだったので文章が変になっているけど、そのまま書き写しました・・・笑

確かに反抗の理由は13歳からのメモが元になっているから、13歳のときから考えると、9年間くらいわたしだけが感じる心の支えのようなものだったかもしれない。
それを書籍化するにあたって、かなりの量を削り、メモとして書いていた為、断片のようなものの固まりや単語、また最後まで書かれていなかったり、最悪読めなかったりすることも多く、恥ずかしい内容は諦めるとして、どうやって繋げたらいいのか悩んだ。(結果、今から書き足すことは出来るだけやめようということで、諦める結果になった。)
 何回「全部書き直したいよ・・・」と担当の編集さんに言ったか数えたらよかった。
膨大なメモの大半は、思春期特有(?)の恥ずかしくておこがましい言葉が堂々巡りしているだけのようで、それでもその当時のものを出来るだけそのままということで、そのままになった。
言い回しも、内容も、全部、顔が赤くなるようなことだらけだった。
堂々巡りしている所も、普通なら削るけれど、これが思春期でリアルな感じがあるということで、ページ数の関係で少なくするくらいだった。
 だから、もし本を読んだ時、「これ数ページ前にも同じようなこと書いてあったな・・」と思ったら、実際はその10倍くらい堂々巡りしていたと思ってください、すみません・・。

 表紙は実際にメモ書きとして使っていたクロッキー帳の一部を切り取り、ハシゴから散蒔いて、自分で撮影した。タイトルの文字も自分の文字を使っていただいた。印刷方法などのアイデアも出来るだけ伝えた。
「反抗の理由」で唯一自信があるところは、表紙のデザインだ。

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※手にとったら帯をめくってみてね♡笑

しかし、内容は大切だ・・・。(当たり前 笑)
どうしても自信がなくなった時、担当の編集さんが言ってくれた言葉だけれど、

ADHDの当事者が13歳から毎日メモ書きをし、加えてそれが残っていることに価値がある」

というのを信じてみようと思っている・・・。
言われてからすぐ、
「確かに発達障害でもアスペルガーの当事者さんが書いた本は見た事があるけどADHDはないなぁ・・・」
と返したが、その後瞬時に、

「ないってことは、それって需要がないから、ないんじゃないの?」


と聞いた。すると、
「その可能性も考えたんですけどね、」
と言われ、え〜〜〜・・・!と、
・・・もうやめよう?
くらいの気持ちになったがその後、
「当事者が13歳から毎日メモを書くことしかしていない、という環境だったことも珍しいし、それが残っているということもすごいことだ」
と言ってくださったので、
「そうだよね〜!」
と、わたしはすごく単純に安心した。わたしは担当の編集さんの、「その可能性も考えたんですけどね」というような所が大のお気に入りで(笑)、信頼が出来て、心から「担当さんがこの方で良かった・・・」と思っていた。

わたしは本当に、単純な人間だ。

あ、それからわたしは今、二冊目の原稿を書いています。
反抗の理由は13歳、14歳の時のメモだけれど、二冊目は一から「21歳の欅流リ」として、書きたいと思っています。


『反抗の理由 〜14歳だし、AD/HDだし、わたし情緒不安定。〜』をよろしくお願いいたします。7月の中頃、書店やネットで購入出来ます。

書籍化にあたり担当の編集さん、家族(特に母)、学校の先生、カウンセラーのおーこさんなど、本当にありがとうございました。
そして、13歳の時のわたしに書くことを教えてくれた言語学者の先生や、あの時の生意気でいつも苛々していたわたしと関わってくれた全ての人と環境と出来事に感謝をします。

(もっと沢山あるのに)書ききれないですね・・・。




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簡単ですが、報告終了です。

欅流リ



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遠距離恋愛(妄想)

妄想 かんじる。おもう、かんがえる。衝動的に

わたしには、16歳年上の社会人の彼がいる。

明日から私たちは、彼の仕事で人生初の遠距離恋愛をすることになった。
ただ仕事の忙しい彼には時間がなく、わたしたちが会う頻度は遠距離であろうとなかろうと、
少なめだった。

今日はそんなわたしたちの、久しぶりのデートだった。

一緒に行こうと決めていたカラオケを、明日からしばらく会えなくなる寂しさでやめた。

何もすることのなくなったわたしたちは、2人で黙って歩いた。
いつものわたしなら「折角のデートなのだから」と黙っている時間はただ、勿体ないものだった。
しかし、今のわたしたちは会話もせず目も合わせず、手も繋がない。

わたしは彼との間に今までにない、不思議な空気を感じた。それは危機感のようなものだった。

いま2人で歩くわたしたちの間には、何とも言えない距離があって、その隙間に少しずつ人が流れ込んできた。

「「まるで2人で歩いていないみたいだ」」と思った。

わたしは慌てて彼の存在を確かめる。彼はいつもと変わらず、何も考えていないようだった。

周りの人には、わたしたちがつき合っているようには見えないだろう。

途端、、わたしたちの間に急ぎ足の自転車が走った。
自転車が斜め前の彼を隠した時、悲しくなった。

わたしは彼と付かず離れずゆっくりと歩いた。
わたしたちの距離感はどれだけ歩いても変わることはなく、
ふと遠くを見ると木々の間に夕焼けが見えた。

「まるで太陽がおっこちてきたみたい!」

大きくてまんまるな光に感動した。無意識に彼の方を見てしまった。

それを伝えたくて、そして、彼が笑ってくれるかもしれないという淡い期待を抱いて。
しかしわたしの期待は一瞬にして砕かれ、すぐに現実へと引き戻された。

わたしたちの間には何とも言えない距離があって、それを埋めることは容易くない。
明日から、わたしたちは離ればなれにもなるのだ。

きっと怒りでもない、すごく寂しいわけでもない、愛情がないわけでもない、この時間にお互い満足もしていない。それなのに、私たちには何かが出来なかった。

慣れてきた今の距離感に、ごくり・・・、と涙をのんだ。
分かりきっていたことに落胆した。
ただ一言「きれいだね」と言えなかった。
単純な会話も出来なかった。
現実から目を背けて二人で楽しく笑い合うことも、今更したくなかった。

こうしてただ歩いている間、わたしは時間が刻々と過ぎていることを痛いくらいに感じた。
息苦しくなるもどかしさと疲れた足を持ち上げて階段を昇っている時、
困ったように彼が「結構歩いたね」と言った。わたしはただうなずいた。
彼がやっと口を開いてくれたのに、わたしの心は少しも動かなかった。

今日がわたしを、ひたすら傷つける。何も出来ないもどかしさが責める。

いつまでも核心をつけないのならば、いっそ彼に抱きついてしまおうか。まだ間に合うだろうか。

けれど考えることに疲れてわたしは、ただひたすら歩いた。彼のことなんて忘れたように歩いた。

すると私たちはやっと同じ気持ちになれた気がした。

空しさを感じが、もうすぐ1日が終わる。

この冷たい時間ももうすぐ終わる。

欅流リ

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2015年3月25日「イブびょういん」

かんじる。おもう、かんがえる。衝動的に 日記

(※イブ→飼っていたうさぎ。)


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何がかなしいとか、苦しいとかわからないまま
息が苦しくなって、涙がながれた。

イブが転んで、自力で立てなくなった。
びっくりして動物病院に駆け込んだ。

動物病院で点滴の注射をされているところをしっかり見ることも出来なかった。

「イブが死んだらどうしたらいいですか」
と聞く自分がいた。
それなのに、
「明日も点滴に来ます、朝一番で来ます」
とも言っていた。

視界の上半分が真っ暗だ。しばらくそのままだった。
貧血みたいだ。
イブの写真や動画を沢山撮った。今までにないくらい沢山撮った。

写真は元気に見えた。
加工したら、もっと元気に見えた。

でも腕の中にいるイブはいつものイブじゃなかった。
わたしの腕に頭を預けていた。

写真で元気に見えたって、
「今日、明日死んでもおかしくない」
と獣医さんに言われた。
こんな元気そうに見える写真が撮れたって、嬉しくなかった。
それならすごく辛そうな、イブを残したい。

だけどカメラを向けたらそんなの全く想像出来ない。

イブは1Kのお部屋だからうさぎを飼う時、「静かで大人しい性格」だから一緒に暮らすことにした。
トイレも完璧で、ハウスももうすぐで出来るようになれそうだった。
「うさぎってこんなに頭がいいんだ」と驚いた。

眠れない夜はイブを抱っこして泣いた。
深夜に一人きりだってイブがいた。いつも静かにお腹の上に乗っていてくれた。
でもどこかで辛い気持ちを言葉にして伝えたくて、イブを抱きながら色んな人に電話をした。
それでもダメだったら、クロッキー帳に色んな思いを書いた。
その間もイブは静かに膝の上でジッとしていた。イブは何も言わない。

今はじめて、こんなに頭がいいのだから、イブに話しかけたら分かっていたかもしれないと気づいた。

獣医さんにイブの目に「力がなくなっているので」と言われた。
確かにそうかもしれない。でも分からなかった。
毎日一緒にいたのに、イブはいつも同じように大きくてまぁるくて、可愛い目をしている。

うさぎは地団駄を踏んだり噛んだりする子も多いのに、イブはしない。
毛並みはバラバラだけど、かわいい。

わたしにとってイブは、確実に大切で、自分の一部のようで、わたしがどうにかしなければ死んでしまって、それは嫌で、ずっとわたしの部屋で生きていてほしくて、必要で大好きだ。
それから、これからもっと仲良くなれるのだ。

イブは元気じゃなきゃ嫌。
わたしも元気じゃないのに。
イブは元気じゃなきゃ嫌だ。
もうイブなら、うるさくってもいいや。いくら太ったっていい。
噛んだって、いいや!
死んじゃ嫌だ。どうしたらいいの。
イブ以外とは暮らせないんだよ、こんなに良い子はいないんだよ、変わりはいないの。

欅流リ


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追伸→その後イブは月にかえりました。
これはイブを動物病院に連れて行った夜遅く、書いたメモです。

2015年3月3日「とりあえずは」

日記

「未来のことなんか分からないよ」
と言われたって全然前向きになれないのは今が辛いからであって、
それから本当に未来のことなんか分からないからであって、その言葉の主に投げやりさを感じるからだ。
その投げやりな言葉に未来は余計暗くなる。

「とりあえずは」という気持ちがいっぱい溢れてる。

だけどとりあえず何かを書いてみて、棒線を引けばその言葉は訂正される。棒線を引けない歴史だってどんどんと美化されていく。

でも、目に見えて棒線を引けないものは全部棒線で終わらせるなって、
「周りの人の手助けで良しとするな」
なんて、怒られちゃうんだろうなぁ。

それはどうして。

何が「オオゴト」で何が「逆に良かった」って言われるかなんて分からないのに。

逆に良かったって言われる確率の方がきっと高いと思うのに。

だって、人は学ぼうとするんだもん。

でもわたし今日も、とりあえずは大丈夫に生きる。

でももし、オオゴトだって言われるようなことが逆に良かったって言われるようになる時がくるのを知っている。
だから時々オオゴトを覗きながら、いつでも裏返れるように「とりあえず」のことばかりするんだよ。

欅流リ

2015年3月2日

日記

「誤解を受けやすいんだ」と声に出して言うのは、わたしにとって「甘え」だ。
誤解を受けやすいとはどういうことだろうか。
自分が拘っているものに対して誤解を受けやすいと言うのは、その拘りが甘いからでないかと思うのだ。
誤解を受けやすいという言葉で片付けるのは、すごく短絡的だ。
自分の表現が下手だとか、自己の認識が甘くて誤解されていると勝手に感じている、などと言い換えることが出来るからだ。
誤解されたと感じているけれど、その誤解されて伝わったものに自分が気づいていないことだってあるかもしれない。
結局全部自分の頭の悪さや努力不足、技術のなさ、思いやりの欠如などが問題になって、自分の気持ちを苦しくさせている。

自分のことが、好きですか。嫌いですか。
言いたいことはありますか。
書きたいことはありますか。
歌いたいことがありますか。
描きたいことはありますか。

そもそも、伝えたいことはありますか。
どうして伝えたいですか。それは伝えなければなりませんか。
どこまで犠牲にできますか。
もし伝えないで死んだら、世界で一番苦しい人生を送ることになってでもまた生きて伝えきりたいですか。
伝えることは苦楽どちらですか。
そして伝えるということに苦楽での左右はありますか。

今までの質問の答えによって、わたしは自分の好き嫌いが決まるのだ。
そして答えによって、「誤解されやすいんだ」と口にするかしないかも決まるのだ。

欅流リ

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メモ in クロッキー帳・2015年2月27日

日記

2015,2,27

はじめて不安感に襲われたとき、これは「助からない」と思った。
「救われない」という方が感覚として近いかもしれない。
なぜなら「これ」は他の人には伝えられない気がしたからだ。

「不安というもの」は今まで理由があって説明が出来るものだったのに、
この感覚は伝えようがない、と途方に暮れた。

「急に不安になるんです、」
「強い不安でいっぱいになるんです、」
「不安になった時は何も出来なくなるんです、」

・・・・・

とそんな説明をいっぱい考えてみたが、
「全部ちがう・・・」
と絶望感でいっぱいになった、六年前くらいのある日。

六年後の今もわたしは不安になる。

いつからこの不安感が当たり前になり、それをザワザワと表現すれば主治医の先生に伝わり、親しい人にも伝わり、その為の薬ももらえて、病名もついて、同じような知り合いも出来、その対処法も知りはじめたのだろう。

今それを思い出せないことが、なんだか怖い。

「死にたい」と口にするようになったのはあの、
不安に蝕まれるような感覚が伝わらなかった時が初めてだっただろうか・・

それも記憶にない。


「死にたい」とはじめて口にしてから、「死にたいと言う抵抗」のような壁が消えた。
それから何の抵抗もなく死にたいと言った。
勇気を振り絞って一歩を踏み出すとか、そんなことよりも簡単で、そして自然だった。

自傷も同じように壁がなくなった。

そして今、死にたいと言うことがなく、自傷をしない自分に対して今度は、

「自殺の壁」

がなくなるような気がするのはおかしい流れではないような気がして、
怖くなった。

欅流リ


☆新しく作ったこの日記カテゴリーは、毎日日記のようにクロッキー帳書いているものを、気が向いた時に記事にしただけのものです。

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若い内に自殺すること。

かんじる。おもう、かんがえる。衝動的に

若くして自殺することは、有効だと思う。
道具としての「死」は、有効だと思う。

わたしが死んだことがきっかけになって、
わたしのことを考えてくれる人が一人でもいるのなら「死にたい」と思う瞬間は、いっぱいある。

他人に、わたしのことを考えざるを得ない心境にさせることが出来る。
生きたわたしの能力では適わない強さで、その状況を与えることが出来る。

日本の人は、自ら命を絶つことを美としてきた。
誰かに殺されるより、自ら命を断ち、殺す方だってそれを止めなかった。

生きることへの美しさが見いだせないのであれば死んだ方がいいじゃないか。
生きることへの拘りを奪われるのであれば、死んだ方が美しいじゃないか。


それに自ら命を断つことを美とした時代が終わっても、
「死なないで」などと止められることもない。

「なにも言えない」。「止められない」。「嫌だ、なんていう立場じゃない」。
現代は、見守ってもくれない。

自傷行為なんて慣れられて飽きられてしまうけれど、
死ぬことは一回のことだから、きっと記憶に残るんだろうなぁと憧れる。

自傷行為なんて生きるのを長引かせているだけのような気もする。

「そうやって長引かせながら考えようかな、、」と思う時は、心細い。

命は、本当にどうでもいいものだ。
死ぬことで、人の記憶に残ることに有効ならば問題は何もない。

「若さは武器」だなんて言うけれど、ずっと腑に落ちなかった。
だけど、若く死ぬことに関しては、武器だと思う。

命をそうやって使うのも悪いことではないと思う。
昔みたいに自ら命を断つ美しさが分かりやすくないから、
若くして死ぬことが武器なのだ。

長引かせながら考えようなんて矛盾している。

生まれてきた意味が知りたい。ー生きていたら分からない。
意味がないことが出来ない。ー出来ないなら違うことをしよう。
だから死のう。

それなのにわたしは、希望をもったりとか夢を見ちゃったりして、
無駄に分かりやすい若さを失ってきた。

欅流リ

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生きたい理由

かんじる。おもう、かんがえる。衝動的に
やりたくないことはやらない。
それでいい。
やりたいことだけやればいい。
しかし、その選択の結果は自分であり、意に反した決定であれ関係がない。
もしかすると結果が後悔に変わり、自分になるかもしれない、ということだ。
わたしはそれが受け止められないから、自己満足な生き方をしようと思っている。

頑張らなくてできなくても、自己満足したならいい。

満足出来ずに生きた自分の過去より、辛く正当化できないものはない。

機械的に生きることは
悪いことではない。
機械的に生きることは
感情のある人間だからこそいいことで、
機械的な自分は
とても暇な感覚だけど、
地道で感情に流されない意識をもつ。それはムラのない、完成度の高い自分。

機械的な自分は、自分とかけ離れている。だけどなにも意識しない自分より行動し、考え、なにかに本気で打ち込んでいる。

生まれたままの自分なら何十年も生きる必要はない。
生まれたままを望みながら何十年も生きるなら、生まれたままを究めなければならず、叶わない。

向上心とか前向きでいるとか、そういう意識をしようっていうの全般て、なんか怠けていることに似ていて、求めてばかりの飢餓みたい。

生きるなら機械的にならなければならない。生まれてきてしまったら自由になんて生きることはできない。
けれど、それは悲しむことじゃない。それが、死にたくないということだから。
悲しいのなら、死にたいということだ。
けれど、人は生きなければならない。何かの役にたてるから。
だから、不自由のままでなければならない。そのまま自由がどこにあるのか探すのだ。
見つからないまま死ねばいい。役に立った。

生まれつきの不自由だから、感情や夢や希望を忘れずに生きるのは苦しいようで嫌になるけど、それくらいが丁度良い具合で、なんとなく納得がいくのだ。

死にたいと思って生きていることに、自己満足している。
だからわたしは生きていたい。

欅流リ

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